


世界樹ユグドラシル
九界を結ぶ世界樹を中心に据えた宇宙観を示す挿絵。
北欧神話を象徴する最大の植物。
出典:『Yggdrasil』-Photo by Oluf Bagge/Wikimedia Commons Public domain
「北欧神話」って聞くと、ワクワクするような冒険や、不思議な生き物が出てくる世界を思い浮かべませんか?
世界を支える巨大な樹「ユグドラシル」や、雷神トールのミョルニル奪還、ロキのいたずらと裏切り、そして最後にやってくる世界の終わり「ラグナロク」など──どれもインパクト抜群で、心をつかまれてしまいます!
実は、そんな北欧神話の魅力って、一つじゃないんです。 神話全体に流れる壮大なスケール感、人間のように悩んだり怒ったりする神々の姿、そして避けられない運命に立ち向かう強さなど、たくさんの「惹かれるポイント」が詰まっているんですよ。
というわけで、本節では「北欧神話における魅力とは?」というお題について、スケールの大きさ・神々の個性・終末への精神──という3つのポイントに分けて、ざっくり紐解いていきます!
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北欧神話の最大の魅力のひとつが、「物語のスケールがとんでもなく大きい」というところです。
ただの神さまの冒険話ではなく、宇宙のはじまりから、世界が滅びて、また再生するまで──まさに時間も空間も超えた壮大なストーリーが描かれているんです。
はじまりは「ギンヌンガガプ」と呼ばれる、なにもない巨大な空間から。
そこに氷と火がぶつかって、最初の巨人「ユミル」と、最初の神「ブーリ」が現れるんです。
このユミル、ただの登場人物ではありません。
なんと、彼の体そのものが、世界そのものになってしまうんです!
たとえば、骨は山になり、血は海、髪の毛は森になって、空は頭蓋骨──まさに全身が世界のパーツに変えられてしまったという壮絶な話。
そこから神々と巨人の戦いが始まり、最後は「ラグナロク」という壮大な終末の物語へと続いていくわけです。
まるで一本の映画のように、始まりから終わりまでが一貫した流れになっていて、読む人をどんどん引き込んでいきます。
北欧神話の神さまたちは、ただの“完璧な存在”ではありません。
むしろ、失敗したり、怒ったり、笑ったり、だまされたり──そんな人間っぽさがいっぱいなんです。
それが親しみやすくて、つい「この神、好きだなぁ」と思えてしまうんですよね。
たとえば、トールは力持ちだけど短気で、よくミョルニルを振り回して暴れちゃう。
ロキは知恵があって頭が切れるけど、そのせいでトラブルばかり起こす。
そして主神オーディンは、知識を求めて片目を差し出したこともある、ちょっとこわいけど深みのある存在。
神話って、普通は「なんでもできる神さま」が出てくるものですが、北欧神話の神々はそうじゃない。
神さまなのに負けたり、間違えたりする姿が、逆にリアルで魅力的に感じるんです。
しかも、それぞれの神さまに個別のストーリーがあって、それがまるでマンガのキャラ紹介のように頭に入ってくる。
読んでいると、どんどん神々のことが好きになっていく──それが北欧神話の不思議な力なんですよ。
北欧神話のもうひとつの大きな特徴、それは「世界の終わり」があらかじめ決まっているということ。
「ラグナロク」と呼ばれる終末の日には、神々と巨人族が最後の戦いを繰り広げて、世界は一度終わってしまう。
それも、神々が勝つわけではなく、たくさんの神さまたちが命を落としてしまうんです。
それでも、彼らは戦うことをやめません。
オーディンも、トールも、ラグナロクで死ぬ運命にあることを知っていました。
でも、それでも彼らは剣をとり、最後の戦いに挑むんです。
「勝てないから戦わない」じゃなくて、「負けるとわかっていても、守るべきものがあるから戦う」──この姿勢が、多くの人の心を打つんですよね。
そしてラグナロクのあとには、新しい世界が生まれ、生き残った神や人間が新たな時代を築いていくという話も残っています。それがまた希望を感じさせてくれるんです。この「滅びの中にある再生の光」が、北欧神話をただの物語以上のものにしているのかもしれません。
🌌オーディンの格言🌌
わしらの物語に魅せられる者は多い。
それは、ただの冒険譚ではなく「魂の旅路」そのものだからじゃ。
天地の始まりも、神々の躍動も、ラグナロクの滅びも──すべては一本の大樹の枝葉に過ぎぬ。
神々の不完全さこそ、世界を照らす火種となる。
失敗し、欺き、笑い、怒る姿のなかに、人は己の影を見出すのじゃ。
勝利なき戦いに挑む者の背に、わしはいつも尊き光を見ておる。
そして、その戦いの先に「終わり」でなく「芽吹き」があること──それが、わしらの物語の真の深みよ。
時の輪は巡る。ゆえに、語り継ぐ者がいる限り、わしらは決して消えぬのじゃ。
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