


魔眼のバロル(フォモール族の王)
目を開けば大地を焼き尽くすと恐れられた「邪眼」の持ち主。
この挿絵では、少年に化けたバロルが、魔法の牛を盗んでいく場面が描かれている。
出典:Photo by Internet Archive Book Images/Wikimedia Commons public domain
一目見ただけで相手を死に追いやる「恐るべき眼」を持つ巨人──それがバロルです。
アイルランド神話の中でも、とくに不気味で強大な存在として語られるこのキャラクター。なんと彼は、その目を開けただけで敵を焼き尽くすことができるというのだから、まさに“生きる災厄”のような存在だったんですね。
そんなバロルには、もうひとつあまり知られていない顔があります。それは、少年に姿を変えて魔法の牛を盗んだという、ちょっと意外なエピソードです。
本節ではこの「魔眼のバロルの司る能力」というテーマを、彼の能力・そこから生まれた伝説・そしてその能力が持つ意味──という3つの視点に分けて、興味深く紐解いていきたいと思います!
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バロルは、「フォモール族」と呼ばれる邪悪な巨人の王で、巨大な体と殺意に満ちた単眼を持つ存在です。
彼の“魔眼”は、ふだんはまぶたの下に隠れているのですが、ひとたび開くと、目にした者すべてを死に追いやるという、ものすごく恐ろしい力を発揮します。
その視線の力は、ただ「殺す」というよりも、周囲一帯を焼き払い、草木も人も命を失わせるような、圧倒的な破壊をもたらすものでした。
これは、ただの物理的な力ではなく、恐怖や絶望そのものが具現化した能力とも言えるでしょう。
バロルの“目”は、アイルランド神話において破壊・災厄・死の象徴であり、彼が登場するだけで物語は暗い色を帯びていくのです。
そんな圧倒的な力を持つバロルですが、ただの暴力的な怪物ではなく、ときにずる賢い策略家の一面も見せます。
あるとき、バロルは「グラース」という魔法の牛を手に入れるために、なんと少年の姿に変身して飼い主をだまし、牛を盗み出すという行動に出たんです。
このエピソードには、バロルのもうひとつの能力──変身と欺きの力が隠されています。
彼は強さだけでなく、策略や変装を駆使して目的を果たそうとする、いわば「恐怖と知略の融合体」。その魔法の牛は、豊穣と富の象徴でもあり、それを奪うことは人々の希望や未来を奪うことにも繋がっていたのです。
こんなふうに、バロルはその眼だけでなく、知恵をもって人々を追い詰める存在でもあったわけですね。
では、このバロルの能力や行動は、私たちにどんな教訓を与えてくれるのでしょう?
ひとつ言えるのは、「恐怖」や「破壊」というものは、必ずしも無意味な暴力として描かれていないということ。
アイルランド神話におけるバロルは、「悪の象徴」として語られると同時に、「避けては通れない現実」でもあります。
たとえば、バロルの魔眼のような力は、人が本能的に感じる不安や脅威を象徴しているのかもしれません。
でも、それをただ避けていても何も変わらない。むしろ、その正体を見極め、理解しようとすることで、はじめて“恐怖に打ち勝つ道”が見えてくる。
実際、神話ではバロルは自分の孫ルーによって倒される運命にあります。これは「破壊は永遠ではない」「新たな世代が古い脅威を乗り越えていく」という希望の象徴でもあるんです。
というわけで、「魔眼のバロル」は、アイルランド神話の中でも際立って強く・恐ろしく・賢い存在です。
敵を焼き尽くす魔眼、変身による欺き、そして豊かさを奪う策略──彼の能力は、あらゆる意味で「終わり」をもたらす力だと言えるでしょう。
でも同時に、その恐怖を越えていく物語こそが、神話の真の魅力なのかもしれません。
バロルの眼を真正面から見据えたとき、私たちは「恐怖とは何か」「それにどう立ち向かうか」という問いに直面することになるのです。
👁オーディンの格言👁
まなこ一つで大地を焦がす──その名をバロルという。
わしとて、その眼差しに潜む「終末の力」を忘れたことはない。
滅びの視線とは、次なる時代の幕開けを見据えるもの。
力に満ち、知略を持ち、変身すら厭わぬあやつの歩みは、破壊者でありながら創造の導き手。
孫の手によって倒れたとき、そこに芽吹いたのは“秩序”という名の若枝じゃった。
バロルとは、わしらの血脈におけるフェンリルにも似たる存在──討たれてこそ意味をなす影。
滅びは怖れるべきものにあらず。次を拓く者の足音なのじゃ。
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