


運命の三女神ウルド・ヴェルザンディ・スクルド(ユグドラシルの泉)
ウルドは運命を紡ぐ三女神ノルンの一柱で、過去を司る。
泉ウルズのそばで糸を整え、世界樹ユグドラシルと人の歩みを過去から支える。
出典:『Three Norns by Lorenz Frolich』-Photo by Lorenz Frolich/Wikimedia Commons Public domain
「未来はもう決まってるの?」「運命って変えられるの?」──そんな問いに対して、北欧神話はとても不思議で、ちょっと切ない答えをくれます。
実は、北欧神話には「時間そのものをつかさどる神」は登場しません。でも、“過去・現在・未来”という時の流れを象徴する存在たちが、ちゃんと物語の中に生きているんです。
本節ではこの「北欧神話の時の神」というテーマを、三女神ノルン・知識の王オーディン・そしてその他の“時”を感じさせるキャラクターたち──という3つの視点から、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
|
|
|
まず真っ先に紹介したいのが、ノルン(Nornir)と呼ばれる三姉妹の女神たちです。
彼女たちはそれぞれ、ウルズ(Urðr)=過去、ヴェルザンディ(Verðandi)=現在、スクルド(Skuld)=未来を意味していて、「時の流れ」をそのまま神格化したような存在です。
場所は、世界樹ユグドラシルの根元にある「ウルズの泉」。そこから水を汲んでは、運命の糸を紡ぎ、あらゆる生命の行方を見守っていると伝えられています。
ノルンたちは人間の寿命だけでなく、神々の運命すらも決める存在。つまり、北欧神話においては、「時」と「運命」は完全に重なり合っているんです。
ラグナロク(神々の終末)も、ノルンたちの糸の中で定められた未来のひとつ。この考え方って、ちょっと切なくて、それでもどこか落ち着きを感じさせるものですよね。
時間は流れていくものだけど、ノルンたちの手の中で、それはひとつの“織物”として存在している──そんな神話の世界が広がっています。
次にご紹介するのは、北欧神話の中心的存在である神々の父、オーディン(Odin)。
一見すると、「戦と詩と魔法の神」として知られる彼ですが、じつはこのオーディンも、“時”に深く関わる存在なんです。
どういうことかというと、彼は未来を知るためにあらゆる犠牲を払う神なんです。
オーディンは、「ミーミルの泉」から知恵を得るため、自らの片目を泉に捧げました。そして、世界樹ユグドラシルに9日間逆さ吊りになることで、「ルーン文字=運命を操る力」を手に入れます。
つまり、時間の流れをただ受け入れるのではなく、理解しようとする存在がオーディンなんですね。
さらに、彼のもとにはフギン(思考)とムニン(記憶)という2羽のワタリガラスがいて、世界中を飛び回り、「今起きていること」と「過去に起きたこと」を伝えに戻ってきます。
このふたつのカラスもまた、「時」の象徴的な存在として描かれているんです。
最後に、「時の神」とまではいかないものの、北欧世界における時の流れそのものを象徴する存在を紹介します。
それが、月の神マーニ(Máni)と太陽の女神ソール(Sól)、そして世界の終わり=ラグナロクです。
マーニとソールは、それぞれ夜と昼を天空へ運行させる神々であり、彼らが空を巡ることで、「一日」という時間のリズムが生まれると考えられていました。
彼らの運行は、北欧の人々にとって、絶えず移り変わる時間の象徴そのものだったのです。
しかし、この天の循環にもいつか終わりが訪れます。
ラグナロクにおいて、マーニとソールは、それぞれを追い続けてきた狼に飲み込まれ、昼と夜を測る基準そのものが失われると語られています。
つまり、マーニとソールの最期は、単なる神々の死ではなく、「日々を区切ってきた時間の仕組みそのものが崩壊する瞬間」を意味しているわけです。
その後、神々が倒れ、世界が炎に包まれたのち、再び大地はよみがえり、バルドルをはじめとする神々が戻ってくる──それは、時間の崩壊の先に訪れる、新たな時の再生ととれるんですね。
つまり北欧神話では、
という構図で、「時間」は直線ではなく、終わっては再び始まる“円環”として描かれていることがわかります。
この感覚は、季節の移ろいや自然の循環とともに暮らした古代北欧の人々にとって、極めて実感的な「時」の捉え方であったのでしょう。
というわけで本節では、北欧神話における「時の神」について、ノルン・オーディン・天体や終末といった“時の象徴”たちをご紹介しました。
運命を紡ぐ三姉妹のノルンは、時の流れそのもの。知識を求め続けるオーディンは、時間を「読み解こうとする者」。そして月や太陽、終末と再生の物語には、日々の時の巡りが映し出されています。
北欧神話における“時”は、ただの数字や時計ではなく、生き物のように流れ、絡まり、巡り、やがて新しい糸へと繋がっていくものなんです。
だからこそ、そこには「終わり」だけじゃなくて、いつも「始まり」が用意されているんですね。
🕰オーディンの格言🕰
わしらの物語に「時」という名の神はおらぬ──されど、時そのものが神々の背後に脈打っておる。
ノルンたちは糸を紡ぎ、ユグドラシルの根元で静かに未来をつづる。
過去も現在も未来も、一本の糸として「織られるもの」──それがわしらの時の感覚なのじゃ。
ラグナロクでさえ、終わりではない。終焉は再生の縁(ふち)となり、新しき芽吹きへとつながる。
フギンとムニンの飛翔もまた、記憶と今を結ぶ儀式よ。
そなたの歩む一歩もまた、時の布に縫いこまれておることを忘れるでないぞ。
|
|
|
