


バルドルを抱くフリッグ(母の愛)
ヤドリギによって命を落としたバルドルを、母フリッグが抱きかかえる場面。
母の嘆きと愛情が強く伝わる構図。
出典:『Baldr's Death』-Photo by Lorenz Frolich/Wikimedia Commons Public domain
死んだ息子を蘇らせようとする母、兄の仇を討とうとする弟、雪深い森の奥で母を待ち続ける小さな子ども──北欧の神話や伝承には、切なさと温かさが入り混じった「家族愛」の物語がたくさんあるんです。
戦いや裏切り、破滅の運命など、北欧神話ってどうしても壮絶なイメージがあるかもしれません。でもその背景には、家族を思う気持ちが強く燃えていることも多いんですよ。
本節ではこの「北欧に伝わる家族愛エピソード」を3つ──バルドルの死・ヴァリの誕生・雪の子どもの伝説──ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
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最初に紹介するのは、北欧神話の中でも特に悲しく、そして深い愛に満ちた物語──「バルドルの死とフリッグの嘆き」です。
光の神バルドルは、その美しさと優しさから、神々にも人間にも愛されていました。そんな彼が、ある日突然「死の予兆の夢」を見てしまうんです。心配した母フリッグは、息子を守るために世界中のあらゆるもの──石、鉄、火、水、動物、植物──すべてに「バルドルを傷つけないで」と誓わせました。
ところが、唯一見逃されてしまったものがあったんです。それが「ヤドリギ」。
そのヤドリギを手にしたロキのいたずらによって、バルドルは弟ヘズの手で命を落とします。フリッグはその死を聞いた瞬間、天地がひっくり返るほどの悲しみに襲われたと伝えられています。
この話は、いかに神々といえども家族を失う悲しみからは逃れられないという、非常に人間らしい感情を伝えてくれます。息子を思う母の願いと、その無念が胸を打つエピソードなんです。
次に紹介するのは、先ほど触れたバルドルの死の続きとして語られる、オーディンの苦悩に満ちた物語です。
バルドルの死を深く嘆いたのは母フリッグだけではありませんでした。主神オーディンにとっても、それは大切な息子を奪われた許しがたい出来事だったのです。
オーディンは悲しみの中で復讐を決意し、ある重大な選択を下します。それは、巨人族の娘リンドとの間に新たな子をもうけ、その子に復讐の使命を担わせるというものでした。こうして生まれたのが「ヴァリ」という神です。
ヴァリは生まれ落ちてからわずか1日で急速に成長し、成人の姿となったと語られています。そしてその日のうちに、バルドルを誤って殺してしまったヘズ(ヘズル)を討ち、父の望んだ復讐を果たします。
この物語には、「父として子の死をどう受け止めるのか」という切実な思いが読み取れる、と後世では解釈されることがあります。復讐という手段は過激ではありますが、その背景には家族を思う深い愛情と責務が潜んでいたのかもしれません。
怒りの内側にある複雑な感情──守りたいという願いと、失ったものへの痛み。その狭間で揺れるオーディンの姿が、静かに胸に迫ってくる物語です。
最後に紹介するのは、北欧のある寒村に静かに伝わる民間伝承です。
ある日、母親が病気の祖母のために山を越えて薬を取りに出かけました。しかし夜になっても戻らず、家に残されたのは幼い少女ひとりだけ。外は激しい吹雪でしたが、少女は何も言わずに玄関先で母の帰りを待ち続けたと語られています。
夜が明けても母の姿はなく、吹雪がようやく止んだころ、村人たちが家の前で小さく丸まった少女を見つけました。雪の中で冷たくなっていたものの、その顔には不思議なほど穏やかな表情が浮かんでいたといいます。
この物語には特別な神も英雄も登場しません。それでも、そこにある家族を思う気持ちは、どんな神話よりも力強く響いてきます。
凍える夜のなか、ただ母を信じて座り続けた小さな心。その姿を目にした村人たちは、やがて彼女について「雪の精霊がそっと天へ導いたのだろう」と語り継ぐようになったそうです。
これはまさに、日々の生活のなかに宿った小さな神話。愛が必ず奇跡を起こすとは限らないけれど、愛する気持ちそのものが人を強くする──そんな静かで温かな真実を教えてくれる物語なのかもしれません。
というわけで、本節では北欧神話とその周辺に伝わる「家族愛」の物語を3つご紹介しました。
母が息子の死を悼む姿、父が子どもの無念を晴らすために立ち上がる決意、そして母の帰りを信じて待ち続けた少女──どれも言葉にしなくても伝わる、深くて強い「家族を思う心」にあふれていました。
神話の中の神々も、山奥の民話の中の人々も、感じていることは私たちとそう変わりません。だからこそ、何百年も前の物語なのに、今もこうして心に響くんですね。
🕯️オーディンの格言🕯️
剣では動かせぬものも、「愛」ならば揺るがすことができる。
フリッグの涙が止まぬのは、母が子を想う心の深さゆえ。
ヴァリの一撃に宿ったのは、復讐ではなく、父としての無言の誓い。
雪の中で母を待ち続けた小さき命にも、尊き火が宿っておった。
家族とは、血の絆ではなく「心の祈り」なのじゃ。
神々の館にも、山の小屋にも、その灯は変わらず揺れておる。
滅びが訪れても、愛した者の名は風に残る。
ゆえに──家族の物語こそ、世界樹の根に最も近い記憶なのじゃ。
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