


天岩戸から現れる天照大神
歌川国貞(三代豊国)による日本神話の太陽神を描いた作品
出典:Photo by Utagawa Kunisada / Wikimedia Commons Public domain
「北欧神話と日本神話」──この2つの神話、まったく別の地域の物語なのに、どこか似ているような、でもやっぱり違うような…そんな不思議な感覚になったことありませんか?
たとえば、世界のはじまりの神話や、人間の世界に光をもたらす神の存在、神々どうしのトラブルなど、共通するテーマもたくさんあります。でも、それぞれの神さまたちのふるまいや、物語の展開のしかたには、はっきりとした違いがあるんです。
本節では、日本神話の中心にいる「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の物語を手がかりにしながら、「北欧神話と日本神話の違いって何だろう?」という問いにせまっていきたいと思います!
日本神話の特徴・北欧との共通点・そして決定的な違い──この3つのポイントで、わかりやすく解説していきますね!
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まずは、日本神話がどんな特徴をもっているか、ざっくり見てみましょう。
日本神話は、『古事記』や『日本書紀』といった歴史書にまとめられており、神々の誕生から国づくり、天皇家の由来までが語られています。
特徴的なのは、神々が「家族」のような関係をもっていて、血縁や上下関係がとても大事にされているという点です。
そして、その中心にいるのが天照大神です。
天照大神は太陽の神であり、日本の最高神とされる存在。
弟のスサノオとの衝突によって天の岩戸に隠れ、世界が闇に包まれてしまう──という有名なエピソードは、自然の働きと神々の心の動きが重なりあった、とても象徴的な神話です。
光と闇、秩序と混乱のバランスを保つために神々が集まって協力するという描写は、日本神話らしい“調和”を重んじる考え方をよく表していますね。
では、日本神話と北欧神話にはどんな共通点があるでしょうか?
まず注目したいのは、どちらの神話にも「完璧じゃない神々」が出てくるという点です。
たとえば、北欧神話の主神オーディンは知恵を求めて自らの目を差し出すし、雷神トールはしょっちゅう武器を失くしたり、ロキは嘘やいたずらばかりする神です。
日本神話でも、天照大神は怒って岩戸に閉じこもってしまいますし、弟のスサノオは暴れて神々に迷惑をかけたりします。
どちらの神話にも、“感情をもった存在としての神”が描かれているんですね。
さらに、世界が何らかのかたちで危機におちいり、それを乗り越えて秩序や光を取り戻すという構図もよく似ています。 神話を通して「世界は揺れながら、でもバランスをとって動いている」という感覚が伝わってくるんです。
最後に、決定的な違いを見てみましょう。
いちばん大きな違いは、神話の「終わり」に対する考え方です。
北欧神話は「ラグナロク」という終末を迎える神話体系で、神々が巨人や怪物と戦い、やがて世界が滅びる──という結末が語られています。
これに対して、日本神話には「世界の終わり」や「神々の死」が明確には描かれていません。
むしろ、「天孫降臨」や「神武天皇の即位」など、神から人へのつながりを重視し、未来へと続いていく物語なんです。
北欧神話が「終末と再生」を描く“円環の物語”なら、日本神話は「始まりから現代へ」の“継承の物語”とも言えるでしょう。
また、神々の住む世界の違いもあります。
北欧神話にはアースガルズやヨトゥンヘイムといった複数の神界・巨人界がありますが、日本神話では「高天原」「葦原中国」「黄泉の国」と、神々と人間がより密接に関わりあう構造になっています。
こうして見ていくと、それぞれの神話が表している「世界観」そのものが、まるでその土地の文化や心の風景を映す鏡のように感じられますよね!
それぞれの違いを知ることで、神話はもっと面白く、もっと奥深くなっていきます。
🌅オーディンの格言🌅
天照の光が岩戸をひらき、わしらの知恵が泉に沈むとき──その姿は遠く離れた地にありながら、どこか似通うものを感じさせる。
神々の歩み方、民との距離、終わりの迎え方──それぞれに異なるが、いずれも「世界とどう向き合うか」を語っておるのじゃ。
神は“高みに立つ存在”であると同時に、“すぐそばに息づく力”でもある。
光と闇、秩序と混沌、作為と無作為──異なる神話に映る鏡の中、わしらは己の在り方を見出す。
神話とは、遠き過去の物語ではない。
それは今を生きる者の心に残された「問い」であり、導き手なのじゃ。
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