


巨大イカ(クラーケン)が船を襲う古図
北欧の伝承で語られる海の怪物クラーケンを巨大なイカとして描いた挿絵。
波間から触腕で船を締め上げる典型的な図像。
出典:『Colossal octopus by Pierre Denys de Montfort』-Photo by Pierre Denys de Montfort(1766-1820)/Wikimedia Commons Public domain
霧に包まれた大海の向こう、突然水面が渦を巻き、黒くぬめる巨大な触手が船を飲み込む──そんな光景、想像したことありませんか?
北欧の海にまつわる伝説の中でも、最も有名かつ恐れられてきた存在、それがクラーケンです。
その姿はまるで巨大なイカかタコ。海の深淵から現れては、船を沈め、嵐を呼ぶとまで言われていたこの海の怪物は、神話というより伝承・航海譚の中で大きく語り継がれてきました。
しかしそこには、自然に対する北欧人の深い敬意と畏れが込められていたんです。
本節ではこの「北欧神話のイカ(=クラーケン)」というテーマを、文化的背景・伝承での役割・そこに秘められた象徴──という3つの視点から、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
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北欧の人々にとって、海は暮らしと切り離せないものでした。
漁をし、交易を行い、航海に出る──そんな日常の中で、海は恵みを与えると同時に、多くの命を奪う場所でもあったのです。
とりわけ、深海に棲むものは正体がわからず、「巨大な生物が海底から現れる」という伝承が各地に残っています。
その中でもひときわ強烈な存在が、イカのような姿をしたクラーケンでした。
クラーケンのような生き物が語られた背景には、北欧の自然観──すなわち、「人間は自然に勝てない」という前提がありました。
見たことのない生き物の気配や、巨大な渦、謎の沈没…それらすべてが「何かいる」に結びつき、やがて巨大な“イカ”のような怪物というイメージが形になっていったのです。
現在「クラーケン」と呼ばれる海の怪物の原型が、文献に姿を現すのは13世紀のノルウェー写本『王の鏡(Konungs skuggsjá)』だといわれています。
そこには、海に浮かぶ島のように巨大な海獣が記されており、後世に“クラーケンの祖型”とされるハフグーファ(hafgufa)の姿が描かれています。
ハフグーファは海にぽっかり浮かぶ岩山のように見え、油断して船を寄せてしまうと、それは実は海獣の背であり、やがて海へと沈み込んで船員を飲み込んでしまう──そんな恐るべき存在でした。
18世紀になると、ノルウェーの博物学者エリク・ポントピダンが航海者たちの噂を集め、巨大な触腕を持つ怪物として“クラーケン”を紹介し、今日知られる形が確立していきます。
とある伝承では、「海に突然現れた小島に船が上陸したところ、島全体がゆっくりと動き出し、それが巨大な海獣だった」……というぞっとする話さえ残されています。海の静けさが、一瞬で恐怖に変わる瞬間だったのでしょう。
興味深いのは、クラーケンが他の神話生物のように明確な人格や意志を持つ存在として語られない点です。
クラーケンはしばしば、嵐や沈没、深海の恐怖といった“自然そのものの怒り”の象徴として描かれます。
つまりクラーケンとは、人間の理解を超えた自然の力が怪物として姿を取った存在。大海原を前にしたときの、人間の無力さや畏怖を形にしたものだと考えられているのです。
クラーケンの伝説から見えてくるのは、北欧の人々が持っていた自然への畏敬と慎重さです。
「海はいつでも人を飲み込む」と考えられていた時代、クラーケンという存在は“恐れ”を通して人々に警告を与える役割を果たしていたのかもしれません。
そして、イカという生き物そのものも、どこか神秘的で不気味。水中で滑るように動き、墨を吐いて姿をくらます…
この“見えそうで見えない”性質が、伝承の中で恐怖を増幅させるポイントになっていたのでしょう。
クラーケンとは、正体の分からない現象や出来事に「名前」を与えることで、不安を受け入れようとした心の働きの表れだったのかもしれません。
それはまさに、神話や伝承が果たしてきた重要な役割のひとつ──
「語ることで、恐れと向き合う」ための知恵だったのです。
というわけで、北欧の伝説に登場するイカ=クラーケンは、ただの海の怪物ではありませんでした。
人の手の及ばない自然の力そのものとして、時に島のように姿を現し、時に何も残さず船を消し去る──
その物語は、人間がどれほど文明を築いても、自然の深みには触れきれないという警鐘でもあったのです。
クラーケンの正体を知ろうとすること、それ自体が、私たちにとっての“深海へのまなざし”なのかもしれませんね。
🐙オーディンの格言🐙
わしらの血脈が語るのは、空の神々ばかりではない。
深き海の底にもまた、人の心を映す「影」が息づいておるのじゃ。
クラーケンと呼ばれしその怪物──それは、形なき恐怖が生んだ幻想の姿。
見えぬものほど、人は大きく描く。
神話に名を連ねぬその姿も、想像という名の神業によって、伝承に刻まれた。
わしが語る九つの世界の記録にはおらぬが、それでもクラーケンは、「畏れ」と「敬意」の象徴として生きておる。
神の物語におらぬからといって、真実でないとは限らぬ──語り継がれしものこそ、魂の記憶となるのじゃ。
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