北欧神話にも『創世記』みたいなものはあるの?

北欧神話の「創世記」とは

北欧神話の「創世記」は、『古エッダ』と『スノッリのエッダ』という二つの文献に描かれている。詩として語られる『古エッダ』は象徴的で神秘的な表現が多く、物語形式の『スノッリのエッダ』は世界の構造を論理的に整理している。両者に共通するのは、混沌から始まり、巨人ユミルの犠牲によって世界が形づくられたという神話観だといえる。

火と氷のあいだに世界が生まれた北欧神話版『創世記』を知る

ユミルと牝牛アウズンブラ(ギンヌンガガプの場面)

牝牛アウズンブラの乳を吸うユミル
氷霧のニヴルヘイムと炎熱のムスペルのはざまに広がる原初の虚空ギンヌンガガプで
霜の巨人ユミルが牝牛アウズンブラの乳を吸う場面。
アウズンブラが舐めた氷から神々の祖先が現れ、北欧神話の創造譚が動き出す。

出典:『Ymir Suckling the Cow Audhumla』-Photo by Nicolai Abildgaard/Wikimedia Commons Public domain


 


アダムとイブの話やノアの箱舟、天地創造の七日間など、ユダヤ教・キリスト教の「創世記」には壮大な始まりの物語が詰まっていますよね。じゃあ、北欧神話ではどうだったの?世界はどんなふうに生まれたの?


実は、北欧神話にもちゃんと「世界のはじまり」を語る物語があります。けれど、そこには神がひとりで天地を創ったような全能性はなく、もっと混沌とした始まりがあるんです。


本節ではこの「北欧神話版『創世記』」というテーマを、創世記の定義・北欧神話の創世物語・そして両者のちがい──という3つの視点に分けて、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!



創世記とは何か──ユダヤ教、キリスト教の聖典

まず最初に、「創世記」という言葉が何を指しているのか、ちょっと整理しておきましょう。


「創世記」は旧約聖書の最初の書物で、天地創造から人類の始まり、そしてアブラハムの時代までを描いた神話的な歴史書です。ここでは、神が6日間で世界を創り、7日目に休んだという有名なエピソードが語られています。


アダムとイブ、カインとアベル、ノアの箱舟、バベルの塔など──今でも世界中で知られている多くの物語がこの「創世記」に収録されています。


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神の言葉による創造

この創世記の特徴は、「神のことば」が持つ圧倒的な力です。「光あれ」と言えば光が生まれ、「大空あれ」と言えば空ができる。つまり、この世界は、秩序だった計画によって創られたとされているんですね。


対照的に、北欧神話の世界はもっと原始的で、不安定で、まるで自然の中から生まれ出たような印象を受けるんです。その違いこそ、今回のテーマの核心になります。


北欧版“創世記”とは──世界は「混沌」から生まれた

さて、ここからが本題。北欧神話では「世界のはじまり」はどんなふうに語られているのでしょうか?


北欧神話における創世物語の代表は、ふたつの文献に記されています。それが『古エッダ(詩語エッダ)』と『スノッリのエッダ』です。どちらもアイスランドで書き残された神話集ですが、その描写には少しずつ違いもあるんです。


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『古エッダ(詩語エッダ)』──歌のかたちで伝えられた神話

まずは『古エッダ』。これは13世紀に書き留められた詩集で、もともとは口承で伝えられていた歌が中心です。なかでも「巫女の予言(ヴォルヴァの予言)」という詩では、世界がまだ何もなかったころ──氷と炎だけが存在していたという、とても象徴的な描写があります。


「草も木もなく、空も海もなかった。ただ底なしの淵と、霧の国ニヴルヘイム、そして炎の国ムスペルヘイムがあった」──そんな混沌とした場所から、やがて巨大な霜の巨人ユミルが誕生し、彼の体から世界のあらゆるものが生まれていきます。


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『スノッリのエッダ』──世界を整理して伝えた物語

一方、『スノッリのエッダ』はスノッリ・ストゥルルソン(1179 - 1241)が書いた神話解説書です。こちらは詩ではなく、物語の形式で神話を解説しており、かなり論理的に整理されています。


この書によると、氷と炎の世界がぶつかることでユミルという巨人が生まれ、彼の汗からほかの巨人が生まれます。そして、オーディンたち神々がユミルを倒し、その身体から大地・海・空・星が作られたと語られています。


つまり、北欧神話における創世記は「巨人の死」と「混沌からの創造」がテーマになっているわけですね。


❄️北欧版“創世記”の特徴まとめ❄️
  • 『古エッダ(詩語エッダ)』:神託詩「巫女の予言(ヴォルヴァの予言)」において、世界の始まりは「何もなかった時代」として語られる。草も空も海もなく、ただ混沌たるギンヌンガガプと、氷の国ニヴルヘイム、炎の国ムスペルヘイムのみが存在。やがてこの対立する世界の境界で霜の巨人ユミルが生まれ、世界創造の端緒となる。
  • 『スノッリのエッダ』:神話を論理的に整理した物語形式の解説書。氷と炎の衝突からユミルが生まれ、彼の汗からさらに巨人族が派生。オーディンたち神々がユミルを殺し、その遺骸から大地・海・空・星々を形作る「巨人の解体による創造」が明確に語られる。宇宙の秩序と神々の役割が体系的に説明されている点が特徴。


創世記と『エッダ』の違い──神の言葉と巨人の肉体

最後に、「創世記」と「北欧神話の創世物語」が、どう違うのかを見ていきましょう。


まず大きな違いは、創造の主体です。ユダヤ教・キリスト教の創世記では、唯一神が言葉によって秩序ある世界を作ります。それに対し、北欧神話では、混沌のなかから自然発生的に巨人が生まれ、その巨人の死骸を使って世界が創られた、というかなりワイルドな設定なんです。


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秩序vs混沌という世界観のちがい

創世記には、神によって定められた明確な秩序があります。光と闇、空と海、人間と動物──すべてがきっちり分けられて作られているんですね。


一方で、北欧神話では、世界は混沌から生まれ、秩序は神々が「後から」つくったものという考え方。ユミルの体から空や海が生まれるなんて、ちょっと奇抜に思えるかもしれませんが、これは自然の力や死生観をとてもリアルに表した神話だとも言えます。


どちらが正しい、というよりも、それぞれの文化が「世界をどう見ていたか」がよく分かる物語だと思うんです。


❄️創世記と北欧神話の創造神話の違いまとめ❄️
  • 創造の主体:『創世記』では唯一神が「言葉」によって世界を創造し、意志と秩序による神聖な設計が基盤となっている。一方、北欧神話では、混沌の中で自然発生した巨人ユミルの死骸を素材にして、神々が後に世界を形成するという「物理的創造」が描かれる。
  • 秩序と混沌:ユダヤ・キリスト教の創世神話は初めから秩序が導入されるが、北欧神話では「ギンヌンガガプ」という混沌が起点となり、そこから秩序が後発的に整えられる。この違いは、世界や人間の在り方への文化的理解の差異を反映している。
  • 死と自然の力:北欧神話では、ユミルという存在の「死」によって生命ある世界が成立するため、死は終わりではなく創造の始まりと捉えられている。これは、自然の循環や物質の流転を重視する独自の宇宙観を象徴している。


 


というわけで、北欧神話版の「創世記」は、キリスト教のようなひとりの神による秩序ある創造ではなく、混沌と自然の力、そして神々の働きによって形づくられた、壮大でちょっと不気味な世界観に満ちた物語でした。


その物語が、『古エッダ』や『スノッリのエッダ』を通して、今でも私たちに語りかけてくるというのが面白いところですよね。


創世記を通じて世界の始まりを見つめると、神話が持つ人間らしい感情や、自然への敬意がひしひしと伝わってくる──そんな気がしませんか?


🌌オーディンの格言🌌

 

わしらの血脈が語り継ぐはじまりの歌は、「秩序ある創造」ではなく「混沌の裂け目」から始まったのじゃ。
ギンヌンガガプの深みに炎と氷が触れ合い、ユミルが目覚め、アウズンブラが命を育んだ──そこにこそ、命の原型がある。
神のことばではなく、巨人の肉体から世界が形づくられたと知るとき、人は自然という大いなる意志の前に立たされる。
世界とは「与えられたもの」ではなく、「刻まれ、受け継がれ、築かれたもの」なのじゃ
『古エッダ』の響きに原始の息吹を感じ、『スノッリのエッダ』の整然に神々の意思を読む──その二重のまなざしこそ、真に深き理解へ至る扉ぞ。
ユミルの犠牲に報いるかのように、わしらは秩序を織り、再び混沌に立ち向かう。
だからこそ、創世の物語は終わりではなく、「世界を生きなおす力」なのじゃ。