北欧神話で「裏切り者」といえば?

北欧神話の「裏切り者」とは

北欧神話における「裏切り者」たちは、物語の転機を担う重要な存在だ。ロキやグズルーンに代表される彼らの行為は、単なる悪意ではなく葛藤や選択の結果とも解釈できる。「裏切り」は時に、秩序を揺るがし物語を前進させる力となるのである。

裏切りの先にある“痛み”と“選択”北欧神話の「裏切り者」を知る

縛られたロキと毒を受け止めるシギュン(処罰の場面)

縛られたロキと毒を受け止めるシギュン
毒蛇の滴をシギュンが鉢で受け止め、ロキは岩に縛られて苦痛に耐える。
バルドルの死など一連の背反行為の帰結として描かれる場面。

出典:『Loki, by Marten Eskil Winge 1890』-Photo by Marten Eskil Winge/Wikimedia Commons Public domain


 


北欧神話や伝承には、“裏切り者”とされる人物たちが数多く登場します。でも、裏切りって本当に「悪」なんでしょうか?その行為の裏には、葛藤や悲しみ、どうしようもない選択があったのかもしれません。


実は、北欧の物語では裏切り者はしばしば“物語を動かす中心”でもあるのです。


本節ではこの「北欧神話の裏切り者」というテーマを、ロキ・グズルーン・他の神話の該当者──という視点から、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!



ロキ──神々を笑わせ、最後には裏切った男

北欧神話の中で「裏切り者」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、このロキ(Loki)でしょう。


最初は神々と共に旅をし、知恵とトリックでピンチを救っていたロキ。トールのハンマーを取り戻したり、スレイプニルを生んだり──その活躍ぶりはむしろ英雄的ですらありました。


でも、物語が進むにつれ、彼の行動は次第にエスカレートしていきます。


ついに、彼は光の神バルドルの死に関与し、神々の怒りを買うことに。バルドルが死んだ時、冥界からの帰還のチャンスをわざと潰したのもロキです。


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縛られたロキと毒を受け止めるシギュン

その後、ロキは神々によって地下に縛られ、頭上からは蛇の毒がしたたり落ちるという、恐ろしい罰を受けることになります。


でもここで、静かに登場するのが彼の妻シギュン。彼女は夫のもとに寄り添い、毒を受け止めるための器を持ち続けるという献身的な姿を見せます。


「裏切った男」と「信じ続けた女」──この対比こそが、ロキの物語の核心なのかもしれません。


裏切りは確かに許されない行為かもしれません。でもそこには、単なる悪意ではなく、孤独・不満・そして存在の苦しさがあったとも考えられるんです。


❄️ロキの関係者❄️
  • シギュン:ロキの妻で、彼が拘束された際に蛇の毒から守るため盃を掲げ続ける献身的な存在とされる。
  • オーディン:ロキと複雑な関係を持つ主神で、ロキをアース神族の一員として迎え入れつつも、最終的にはラグナロクでの対立へ至る。
  • フェンリル・ヨルムンガンド・ヘル:ロキの子どもたちであり、それぞれがラグナロクにおける破滅的役割を担う存在として知られる。


グズルーン──裏切りの只中に立たされた悲劇の女英雄

次に取り上げるのは、神々ではなく、北欧英雄伝説が描き出す人間世界の悲劇に登場する女性、グズルーン(Guðrún)です。


『ヴォルスンガ・サガ』などにおいて、彼女は勇者シグルズの妻として登場します。ところが、シグルズが陰謀によって命を奪われると、グズルーンの運命は大きく歪みはじめます。


その後、彼女は望まぬ政略結婚によってアトリ王(※アッティラ伝承の投影と解される)に嫁ぐことになりますが、この婚姻は彼女に安息をもたらすものではありませんでした。


やがてアトリ王がグズルーンの兄たちを謀殺したことが明らかになると、彼女は夫への忠誠と家族の名誉とのあいだで、否応なく“裏切り”の選択を迫られることになります。


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その裏切りは、復讐と名誉をめぐる必然でもあった

アトリによる兄たちの殺害を知ったグズルーンは、深い悲嘆と義憤の中で復讐を決意し、最終的には夫アトリを自らの手で葬るという行動に踏み切ります。


外形的には「夫殺し」という背徳の行為ですが、そこには


  • 家族を奪われた痛み
  • 一族の名誉を守るという強い意志
  • 裏切りの連鎖に終止符を打とうとする決断


が重層的に絡み合っています。


北欧英雄詩の伝統において、このような“裏切り”はしばしば、正義と名誉を守るために不可避となった行為として描かれます。


グズルーンの物語は、単なる裏切りの物語ではなく、裏切り・復讐・誇りが複雑に交錯する、きわめて人間的なドラマとして位置づけられているのです。


❄️グズルーンの関係者一覧❄️
  • シグルド:グズルーンの最初の夫となる英雄で、その死が彼女の生涯を大きく変える悲劇の起点となる。
  • グリームヒルド:グズルーンの母で、婚姻と策略を通じて娘の運命を操作する存在として描かれる。
  • グンナル:グズルーンの兄で、ギューキ家の王子。シグルドをめぐる策謀の中心に関わる人物である。
  • グトルム:グズルーンの弟で、奸計によってシグルド殺害を実行させられる悲劇的存在となる。
  • アトリ王:グズルーンの再婚相手で、強大な王。結婚は和平の象徴であったが、後に復讐劇へとつながる。


他の神話の「裏切り者」──世界の“裏切り”にある普遍的教訓とは

裏切りの物語は北欧神話だけの専売特許ではありません。
世界の神話や伝承をのぞいてみると、「仲間を裏切った者」「神に逆らった者」「愛ゆえに誓いを破った者」など、じつに多彩な“裏切り者”が登場します。
そして驚くことに、その多くが物語の転機をつくり、世界を前に進める役割を担っているんです。


こうしたキャラクターたちを見比べてみると、「裏切り」そのものが悪というより、状況によっては変化をもたらすための揺らぎとして描かれていることに気づきます。
世界の秩序を揺らす存在が現れることで、新しい価値観や平和、あるいは再生の物語が始まっていく──そんな構造が、さまざまな神話に共通しているんですね。 “裏切り者”は、しばしば物語の起爆剤だったという視点で読むと、世界の神話がもっと面白く感じられます。


❄️他の神話の「裏切り者」一覧❄️
  • プロメテウス(ギリシア神話):神々の禁を破り、人類に火を与えたことでゼウスに背いた存在とされる。神々への反逆者でありながら、人類にとっては恩人として記憶される。
  • セト(エジプト神話):兄オシリスを殺害し玉座を奪ったことで、秩序への裏切り者として描かれる。混沌の象徴としてホルスとの争いを繰り返す。
  • メイヴ女王(ケルト神話):夫の所有する牡牛に対する羨望から大戦争を引き起こすなど、同族や配偶者との関係をたびたび反故にする。欲望と支配のために裏切りを厭わない存在として語られる。


 


というわけで、北欧神話の裏切り者ロキだけでなく、プロメテウス・セト・メイヴといった他文化の“裏切り者”たちを見てみると、裏切りとは単なる悪ではなく、世界に変化を起こす力そのものだったことが見えてきます。


葛藤や悲しみの中で生まれた裏切りが、物語を動かし、世界を前へ進める。
そう考えると、裏切り者の物語はむしろ人間くさい優しさや弱さを写しとる鏡なのかもしれません。


🐍オーディンの格言🐍

 

かつて、わしはロキを友と呼び、共に笑い、共に歩んだ。
されど時は巡り、彼の足取りはやがてわしらの秩序を穿つものとなったのじゃ。
裏切り──それは終わりの兆しにして、新たなる幕開けの息吹でもある。
滅びをもたらす者は、時に世界の「再構築」を促す役割を担う
その傍らに寄り添い、毒を受け止め続けたシギュンよ……その静けさのうちに宿る忠義こそ、最も尊き力。
ロキの咆哮も、シギュンの沈黙も、等しくわしらの物語の一部なのじゃ。
善悪を超えたところで──世界は形を変えて、また廻り始めるのじゃ。