


盲目の神ホズを描いた挿絵
ロキに唆され、盲目のままヤドリギの矢を放ってバルドルを射抜く場面。
出典:『Baldr's death by Doepler』-Photo by Carl Emil Doepler/Wikimedia Commons Public domain
光の神バルドル、狡猾なロキ、雷を司るトール──北欧神話には強く鮮やかな神々が多く登場しますが、その中で異彩を放つのが盲目の神ホズ(Höðr)です。彼の存在は、単に「見えない」というだけではなく、神話の中で大きな悲劇を引き起こす「鍵」として描かれているんです。
けれどこの“盲目”という特性、ただの弱点ではありません。むしろ、他の神々が見逃してしまう“何か”を、そっと語りかけてくるような深みを持っているんですよ。
本節ではこの「盲目の神」というテーマを、悲劇の中心にいたホズ・復讐と希望を背負うヴァーリ・インド神話のアンダカ──という3つのキャラクターから、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
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まず紹介したいのが、本テーマの中心人物であるホズ(Höðr)です。彼は光の神バルドルの兄弟でありながら、視力を持たない盲目の神として知られています。
一見、温厚で物静かなキャラクターですが、ある事件をきっかけに神話の世界を揺るがす悲劇の主役となってしまうんです。
神々の中で最も愛された存在──それがバルドルでした。彼の死は避けられないと予言されていたため、母フリッグは万物に「バルドルを傷つけないように」と誓わせます。
でも、唯一その誓いを逃れた「ヤドリギの枝」が、悲劇の道具となるのです。
ある日、ロキがこの枝を手に、ホズに「投げてみないか」と唆します。視力を持たないホズは、何も知らずに投げつけてしまい、結果的にバルドルを死に至らしめてしまうのです。
つまり、彼は悪意なくして神々の希望を奪ってしまった存在。それが盲目の神・ホズの宿命だったんですね。
次に紹介するのは、バルドルの死と深く関わる存在、ヴァーリ(Váli)です。彼はオーディンと巨人女リンドとの子として生まれた神で、なんと「バルドルの復讐を果たすためだけに」生まれたという特異な運命を持っています。
ヴァーリは誕生してすぐに成長し、兄ホズを討つことで復讐を成し遂げるのです。
ホズが犯した罪は、意図的なものではありません。でも、神々の秩序を守るために、オーディンは「罰」としての命をヴァーリに託します。
この話から感じられるのは、「正しさ」と「情」の間で揺れる神々の心。ヴァーリ自身は何の恨みもなく、ただ使命として兄を討つのです。
だからこそ、盲目の神ホズと、その命を奪うヴァーリの関係は、北欧神話における最大級の“運命の皮肉”とも言えるでしょう。
盲目という特質は北欧世界に限られた象徴ではありません。
世界各地の神話・伝承には、「視力を持たない」あるいは「視覚を失った」ことで、むしろ特別な力を備えた存在が登場します。
その代表例として挙げられるのが、インド神話に登場する アンダカ(Andhaka) です。
アンダカは生まれつき盲目のアスラ(反神的存在)であり、その「視えなさ」は単なる弱点ではなく、彼の本質と宿命そのものを象徴しています。盲目ゆえに世界の姿を知らず、欲望の境界も理解できなかった彼は、のちに強大な力を得て神々と対峙します。
でも、視覚を欠いたまま力だけを求めた結果、彼の闘争は秩序との衝突を避け得ないものとなり、最終的にシヴァ神によって制されることになるのです。
この物語は、
「視えないことは、しばしば別種の危うさ、あるいは別種の洞察をもたらす」
という普遍的な主題を映し出しています。
ホズの盲目が、ロキの奸計によって無意識の罪へと導かれたように、アンダカの盲目もまた、彼の運命そのものを方向づけました。
盲目という特性は、単に感覚の欠如ではなく、世界との関わり方そのものを変質させる要素として、多くの文化で神話的意味を与えられてきたわけですね。
というわけで、「北欧神話の盲目の神」というテーマから、ホズ・ヴァーリ・番外編でインド神話からアンダカを紹介してきました。
ホズの存在は、ただの悲劇の登場人物ではありません。盲目であること=弱さではなく、運命の流れの中で何かを“見つめる”存在として描かれているんです。
それに関わるヴァーリの運命、そして「見えない力」そのものを象徴するフルカングルの伝承──すべてが、“目には映らない真実”を私たちに教えてくれているのかもしれません。
だからこそ、「盲目の神」というテーマは、静かに、でも深く心に残るんですね。
🌘オーディンの格言🌘
光が強ければ影もまた深くなる──それがこの世界の理なのじゃ。
ホズよ、そなたは欺かれしとはいえ、運命の糸に導かれた者。
その手が放った矢は、悲しみと再生の扉を同時に開いた。
闇の中にこそ、真の「目覚め」が宿るのじゃ。
バルドルと共に歩む未来は、罰ではなく赦しの証。
わしらの血脈の物語は、嘆きの果てにこそ新しき光を見いだす。
それゆえ、涙を恐れるでない──涙こそ、神々が語る祈りなのだから。
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