


猫の戦車を駆る女神フレイヤ
愛と魔術と戦の相を併せ持つ北欧の女神で、ギリシャ神話のアテナと対比し語られることが多い。
出典:『Freyja』-Photo by Johannes Gehrts/Wikimedia Commons Public domain
戦いと知恵を司り、堂々たる威厳をまとった女神「アテナ」──そんな存在が北欧神話にもいたとしたら、いったい誰にあたるのでしょうか?
愛と美を象徴しながら、戦場にも深く関わるフレイヤ、神秘と策略に通じるフリッグ、あるいは別の誰か?
知恵と力、美と誇りといった女神の在り方を手がかりに、神話の世界を横断してみると、新たな魅力が浮かび上がってきます。
「北欧神話におけるアテナ的存在とは誰か?」──この記事ではそんな問いを立てながら、アテナの特徴・フレイヤとの共通点・そしてふたりの決定的な違いについて、楽しく読み解いていきます!
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まずは、ギリシャ神話に登場する「アテナ」って、どんな女神だったのか見てみましょう。
アテナは知恵・戦略・工芸・都市の守護を司る神さまで、戦いにも長けているけど、戦争そのものを好むタイプではありません。
戦場では冷静に作戦を立て、前線に立って戦うこともありますが、それは「守るための戦い」。
同じ戦の神であるアレスのように、ただの破壊を楽しむようなところはまったくないんです。
アテナの誕生は、ちょっと変わっています。
母メティスを飲み込んだゼウスの頭から、完全武装の状態で生まれてきたとされているんです。
これは、「生まれながらにして戦う知恵を持った存在」という意味でもあります。
知性と力の両方を兼ね備えている点では、たしかに北欧神話の女神フレイヤに通じる部分もあるかもしれませんね。
次に、北欧神話における「アテナ的存在」ともいえる女神フレイヤについて見ていきましょう。
フレイヤは、愛と美の女神として知られていますが、それだけではありません。 戦場で戦士たちの魂を選び取る、戦と死に深く関わる神でもあるんです。
このあたりが、知性と戦いを合わせ持つアテナと重なるポイントなんですね。
ヴァルキリーが戦死者をオーディンの館「ヴァルハラ」に連れていくのに対し、フレイヤは選ばれた半分の戦士たちを自分の館「セスルームニル」へ迎えるといわれています。
つまり、フレイヤもまた「戦場を見守る女神」なんです。
しかも、ただの美しい女神ではなく、自由と誇りを何よりも大切にする気高い存在。
アテナのように「誰かに仕える」のではなく、自分の意思で行動する姿も、共通点の一つかもしれません。
最後に、アテナとフレイヤの違いについても見ておきましょう。
このふたり、似ているところも多いですが、根っこの部分にある性格や価値観はけっこうちがうんです。
アテナはどちらかというと、論理的で冷静な女神。
「知恵と戦略」がキーワードで、感情に流されることはほとんどありません。
それに対して、フレイヤは感情豊かで、人間くさい一面をたくさん持っているんです。
たとえば、愛する夫オーズが姿を消したとき、フレイヤは世界中を探し回って、涙を流し続けたといわれます。
その涙が黄金になった──なんて、とても詩的で感情的ですよね。
また、怒ったときには大地が揺れ、雷が鳴ることもあるとか。
そういう「気持ちがそのまま世界に表れる」ところが、アテナにはあまり見られない特徴です。
つまり、アテナは理性の象徴、フレイヤは感情の力を体現する存在。
同じように「強くて美しい女神」であっても、その生き方や価値観は、まったくちがっているんです。
この違いを知ると、どちらの神さまもますます魅力的に見えてきますよね!
🌸オーディンの格言🌸
わしらの物語において「強さ」とは、剣を振るう力だけでは語れぬ。
戦場に立ちながらも、涙を流すことを恥じぬ心──それもまた尊き力なのじゃ。
フレイヤは、愛し、嘆き、抗いながらも誇りを手放さぬ、真に気高き魂よ。
アテナが理を掲げるなら、フレイヤは情を貫く。どちらも、女神としての在り方を極めた者。
猫の戦車に乗る彼女は、ただの美の象徴ではない。「死を迎える者に微笑む者」でもあるのだ。
北の民は、感情に揺れる神にこそ希望を託した。自然と運命の只中で、懸命に生き抜く姿にこそ共鳴したのじゃ。
理性を誇るもよし、情熱に生きるもまたよし──わしらが信じたのは、「在りのままの強さ」であった。
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