


神々に命を与えられる最初の人間アスクとエンブレ
流木から形作られた人間にオーディンらが息や意識などの賜物を与える場面。
北欧神話における人と神の結びつき(創造と加護)を象徴する。
出典:『Ask and Embla by Robert Engels』-Photo by Robert Engels/Wikimedia Commons Public domain
オーディンたち神々が木から人間をつくった話、神々と巨人たちのはざまで揺れる人間たちの姿、そして終末の日ラグナロクでの共闘など──北欧神話には「人」と「神」の関係を描いたエピソードがいくつもありますよね。
けれども、そもそも神々はどうして人間を生み出したのでしょうか?
そして、人間は神々にとってどんな存在だったのでしょう?
ここが面白いところなのですが、北欧神話における人間と神の関係は、ただの「主従関係」ではないんです。どこか“対等さ”や“共感”さえ感じられる関係が描かれているのが、この神話の大きな特徴といえるでしょう。
本節ではこの「人間と神の関係」というテーマを、それぞれの役割・つながりの在り方・そこから見える教訓──という3つの視点に分けて、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
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北欧神話のなかで、人間の起源を語るもっとも有名な物語が、アスクとエンブレのエピソードです。
このふたりは、オーディンとその兄弟たち──ヴィリとヴェー──が流木から命を吹き込んだ最初の人間、つまり北欧神話における“アダムとイヴ”のような存在なんですね。
男のアスクはトネリコの木、女のエンブレはニレの木から作られたとされ、それぞれに「息」「心」「声」などを授けられて、初めて人間らしい存在となりました。
この物語が面白いのは、神々が人間を“道具”や“従者”としてではなく、ある種の「創造物」として慈しんでいたように描かれている点です。
神々は宇宙を作り、土地を整え、生き物を生み出し、そして最後に人間を形作りました。これはまるで、壮大な作品を完成させる最後のピースとして、人間が登場したようにも感じられます。
つまり、人間はただ生かされている存在ではなく、「この世界に意味を与える存在」として登場するのです。
神々と人間の間には、はっきりとした上下関係があるわけではありません。でも、かといって同じ場所に生きているわけでもない。北欧神話では神々はアースガルズという神域に、人間はミズガルズという世界に住むとされています。
ただ、この2つの世界は「虹の橋ビフレスト」によってつながっており、ときおり神々が人間の世界を訪れたり、逆に人間が神々の領域に関わってしまったりすることもあるんです。
たとえば英雄シグルドや、戦死した勇士たちが向かうヴァルハラなど、「人間が神の世界に認められる」というモチーフは、北欧神話には繰り返し登場します。
ここで注目したいのは、神々が人間に対して無関心ではなく、ときに援助し、ときに罰し、ときに運命を共にするという点です。
たとえばラグナロク──神々と巨人の最終戦争──では、人間界の勇士たちが神々とともに戦うことになっています。これは、人間が「神のために戦う従者」ではなく、神と共に運命を背負う仲間として見られていた証なのかもしれません。
神と人は似て非なる存在ですが、北欧神話では「神々もまた不完全であり、終わりを迎える存在」であるという点が強調されます。
これは他の神話体系と比べても珍しい特徴です。ギリシャ神話やローマ神話では、神々は基本的に不死ですし、キリスト教では神は絶対的な存在ですよね。
でも、北欧神話の神々は老い、傷つき、死ぬことさえある。だからこそ、人間との距離が近く、感情や運命を共有する関係が築かれているのかもしれません。
この視点から見ると、北欧神話は「人間が神のようになろうとする」教えではありません。むしろ、「神々もまた、苦しみや迷いの中にいる」という描き方をしているんです。
そうすると、私たちが神話を読むとき、そこに出てくる神々の姿は、どこか自分たち人間の弱さや希望を映し出している鏡のように感じられてきます。
そしてその関係性こそが、「人間と神の関係は、共にこの世界を生き抜くための対話なのだ」と教えてくれているようにも思えるんです。
というわけで、北欧神話における「人間と神の関係」は、とても特異であたたかみのあるテーマでした。
アスクとエンブレに始まる人間の創造、神々との微妙な距離感、そして最終的には共に運命を迎える存在として描かれる彼らの姿──それは決して一方的な支配や服従ではなく、“共に歩む関係”そのものでした。
だからこそ、北欧神話を読むとき、神々の物語を「遠い神の世界」と思わずに、「自分たちの心の姿」として感じてみてほしいんです。きっと、どこか自分の中にも通じる何かが見つかるはずですから。
🌱オーディンの格言🌱
わしらが砂浜で拾い上げた流木──それが、アスクとエンブレじゃ。
風も言葉も、意志すら持たぬ木々に、命という「火種」を授けたその瞬間を、わしはいまも覚えておる。
神と人とは「隔たるもの」ではなく、「ともに歩む者」なのじゃ。
トールが雷で作物を守り、フリッグが母たちの涙に寄り添うように。
ノルンたちが定めし運命の糸も、人と神が織るならば、きっとよりしなやかになる。
わしらの物語において、人間とはただの創られし者ではない。
そなたらは、苦しみと喜びを共に担う「小さき同胞」──世界樹の枝の先に、確かに芽吹いたいのちなのじゃ。
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