


狩猟と冬の女神スカジ
弓とスキーを象徴とする山の女神で、狩猟と純潔を司るアルテミス(ギリシャ神話)と対比される北欧の女神。
出典:『Skadi by Peters』-Photo by Carl Christian Peters/Wikimedia Commons Public domain
ギリシャ神話に登場する「アルテミス」といえば、月と狩りの女神。
自然とともに生き、誇り高く孤独を愛するその姿は、神々のなかでも特に自由で気高い存在として描かれています。
北欧神話にも、そんなアルテミスと響き合う女神がいます。
それが、氷と雪に閉ざされた山に生き、弓とスキーを操る狩猟の女神スカジです。
どちらも「自然と共にある強い女性神」という点で重なる一方で、信仰の背景や神話のなかでの扱われ方にははっきりとした違いも見えてくる──そこがまた、神話比較の面白いところです。
というわけで本節では、「北欧神話のアルテミスとは誰か?」という視点から、アルテミスの特徴・スカジとの共通点・そしてふたりの違いという3つの切り口で物語を読み解いていきます!
|
|
|
アルテミスは、ギリシャ神話において狩猟・純潔・月・自然を司る女神で、主神ゼウスと女神レートーの娘として生まれました。
双子の兄は太陽神アポロンです。
アルテミスは非常に誇り高く、自ら望んで“処女神”であることを選び、男性との関わりを避けるという強い意志を持っていました。
野生動物たちと山野を駆け巡り、気ままに暮らすその姿は、文明とは距離をおいた“自然の女神”としてのイメージを強く印象づけています。
アルテミスは、非常に優れた狩人であると同時に、誇りを傷つけられたときには容赦なく罰を下す女神でもあります。
たとえば、彼女の入浴を偶然見てしまった狩人アクタイオンを鹿に変えてしまうといった、有名な神話も残されています。
厳しさと清らかさ、孤高と野生──それらをあわせ持つのがアルテミスという存在なのです。
北欧神話でアルテミスに最も近い女神といえば、やはりスカジの名が挙がるでしょう。
彼女は雪山に暮らし、弓とスキーを巧みに操る狩猟の女神で、自然との一体感をそのまま体現したような存在です。
スカジは、もともとは巨人族(ヨトゥン)の出身ですが、父の死をきっかけにアース神族のもとに現れ、自らの望みと誇りを貫いて神々と渡り合うことになります。
スカジが神々の館を訪れたとき、「父の死の償い」として、夫を選ぶ権利と、神々の笑いを取り戻すことを求めました。
その場で誰もが笑ってしまうような見世物を要求するというのは、彼女の強さと賢さの象徴でもあります。
さらに、結婚相手のニョルズとは価値観が合わず、海の世界から山へ戻ってしまうというエピソードも。 自然と孤独を愛し、自分の生き方を曲げない姿勢は、まさに北欧のアルテミスと呼ぶにふさわしい存在です。
共通点の多いアルテミスとスカジですが、はっきりと違いが見えてくる部分もあります。
それは、「純潔」へのこだわりの有無と、復讐に対する態度です。
アルテミスは、強い信念で処女性を守り、神話の中でもそれがしばしば物語の中心になります。
一方で、スカジにはそうした性的禁欲の描写はほとんどなく、彼女の芯にあるのは“誇りと独立心”といえるでしょう。
スカジは、父を殺された怒りをもって神々のもとに現れますが、その後、神々と和解し、新たな立場を得ていきます。
復讐心に燃えるだけでなく、条件と誇りを保ちながら“交渉”を選ぶという点が、アルテミスとは異なる印象を与えます。
アルテミスは往々にして「罰を下す」存在として語られますが、スカジは「正義を求める者」であり、対話と選択によって自らの道を切り開く女神なのです。
こうした違いを踏まえると、同じく「自然と共に生きる女性神」であっても、アルテミスが“神々の理想”を体現するのに対し、スカジは“個の誇り”を貫く存在と言えるかもしれませんね。
🏔オーディンの格言🏔
スカジ──あの娘は、嵐吹く山のごとき意思を持っておった。
父の仇を前に剣を抜かず、交渉を選んだその姿は、強さの別のかたちをわしらに見せたのじゃ。
されど、夫を選んでも心満たされず、やがて己の故郷へと帰る。
「従うより、己の足で雪を踏みしめる方が、ずっと自由でいられる」──あやつはそう信じておったのじゃろうな。
神々の輪に入らずとも、自然と共にある者には別の誇りが宿る。
アルテミスと並び語られるその名は、ただ“美しき孤高”にとどまらぬ。
それは「女神」である前に、「ひとりの生きる者」としての尊厳を体現しておるのじゃ。
|
|
|
