


木曜日(Thursday)の語源と結びつく雷神トール
英語のThursday(木曜日)は本来Thor's day(トールの日)に由来。
ローマ神話のJupiterの対応語置換と並行する命名慣習の一例。
出典:『Thor's Battle Against the Jotnar (1872)』-Photo by Marten Eskil Winge/Wikimedia Commons Public domain
水曜日や金曜日って、英語で言うと“Wednesday”や“Friday”ですよね。実はこれらの名前、昔の北欧神話の神さまたちと深いつながりがあるんです!たとえば、水曜日は知恵の神オーディンから、木曜日は雷神トールから来てるなんて、ちょっとびっくりしませんか?
曜日の名前に神さまの痕跡が残っているなんて、ふだん何気なく使ってる言葉の中に、こんなにも神話のかけらが生きてるって、想像するだけでワクワクしますよね。
本節ではこの「曜日に縁ある神」というテーマを、オーディン・トール・フリッグ──という3人の神さまに分けて、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
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まず最初に紹介するのは、北欧神話の最高神オーディン(Odin)。英語で「Wednesday」と書く水曜日の語源は、実は「Woden’s Day(ウォーデンの日)」──つまり「オーディンの日」から来ているんです。
この「Woden」というのは、ゲルマン神話におけるオーディンの呼び名の一つ。ヨーロッパ全体に信仰が広まったことで、オーディンの名が英語の曜日にもしっかり刻まれたんですね。
オーディンは、戦争の神でありながら、同時に詩と知恵と予言の神でもあります。
片目を失ってでも知恵を得ようとした彼の姿は、「知ることの大切さ」と「犠牲の意味」を教えてくれる象徴的な存在。そんなオーディンが水曜日に結びついているのは、「週の真ん中に知性と決断を」みたいな意味があったのかもしれませんね。
普段は見逃しがちだけど、カレンダーに「Wednesday」と書いてあったら、「あっ、今日はオーディンの日だ!」って思い出してみてください。
次に紹介するのは、あの有名な雷神トール(Thor)。強い、かっこいい、ハンマーでバリバリ戦う──そんなイメージがぴったりな神さまですが、実は英語の「Thursday(木曜日)」は「Thor’s Day(トールの日)」から来ているんです。
雷の神でありながら、人間たちにとても人気があり、庶民にとっての守り神的存在でもあったトール。その強さと誠実さが、今も曜日の名前として残っているのは感慨深いですよね。
トールはしょっちゅう、巨人族との戦いに出かけます。そのたびに、彼の持つ最強の武器「ミョルニル(Mjölnir)」で敵をなぎ倒すんです。
でも、ただ強いだけじゃなくて、家族や仲間、そして人間たちを守るために戦うという“正義感”が彼の魅力なんです。
そんなトールが木曜日を司るというのは、「週の後半を力強く乗り切れ!」という励ましが込められているようにも感じられますね。
最後に紹介するのは、オーディンの妻でもあるフリッグ(Frigg)。英語で「Friday(金曜日)」という名前は、「Frigg’s Day(フリッグの日)」に由来すると言われています。
フリッグは愛・結婚・家庭の守護神であり、空や運命をも見通す深い知性を持つ存在です。ロマンチックで優しげなイメージですが、ただの「家庭の女神」では終わらない、しっかり者のパートナーでもあるんです。
フリッグは未来を見通す力を持っていたにもかかわらず、それを他人には明かさなかったというエピソードがあります。
それってつまり、知っているからこそ黙って支えるという、奥深い強さがあるってことなんです。
そんな彼女の名前が金曜日に残っているのは、「週の終わりを温かく見守る女神のまなざし」が、曜日の中に宿っているからかもしれませんね。
というわけで、北欧神話の「曜日に縁ある神たち」は、知恵の神オーディン・守護の神トール・愛と家庭の女神フリッグの3柱でした。
曜日って、ただのカレンダー上の区切りだと思っていたら、じつは神話の名残がぎっしり詰まっていたんですね。
日々の生活の中に、ちょっとだけ神話の気配を感じられる──そんな発見が、毎日を少し楽しくしてくれるかもしれませんよ。
⏳オーディンの格言⏳
時を刻むとは、ただ日々を数えることにあらず。
曜日に宿る名こそ、わしらの記憶の欠片──その響きに、古き誓いと力が今も息づいておる。
“Thursday”は、トールの足音を今日に響かせる「雷の名残り」なのじゃ。
火曜にはテュール、水曜にはわし──そして金曜には、あのフリッグの面影が漂う。
ローマの神々と混ざり合いながらも、わしらの名は忘れられなかった。
それは、人の暮らしに根ざした祈りが、言葉の形で今も残っておる証じゃ。
「日々」とは、わしらと共に過ごされる小さな神話の繰り返しなのじゃよ。
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