


トールが海でヨルムンガンドを釣り上げる場面
北欧神話の海の怪物ヨルムンガンドを釣り上げようとするトールの逸話を再現。
世界を取り巻く大海蛇の脅威を象徴する。
出典:『Thor's Fishing』-Photo by W. G. Collingwood (1854-1932)/Wikimedia Commons Public domain
大海原を取り巻く巨大な蛇、船を襲う海の化け物、そして神々の運命を握る海底の存在…。北欧神話には、想像を超えるようなスケールの「海の怪物」たちが登場しますよね。なかでも有名なのが、雷神トールの宿敵であり世界を巻きつける大蛇ヨルムンガンドです。
でも実はそれだけじゃないんです。北欧の伝説や伝承には、海を舞台にした“とてつもない存在”が他にもいくつも登場します。
本節ではこの「海の怪物」というテーマを、世界を囲む大蛇・霧の海を彷徨う亡者・そして深海に棲む幻獣という3つのキャラクターを軸にして、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
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北欧神話で最も有名な海の怪物といえば、やっぱりヨルムンガンドでしょう。
彼はロキと女巨人アングルボザの間に生まれた子どもの一人。姿は果てしなく巨大な蛇で、海の底でぐるりと世界を取り巻くように身体を巻きつけています。自分の尾をくわえているほどの長さって、もうスケールが異次元ですよね。
神々はこの恐るべき存在を制御しきれず、海へと投げ捨てたのですが、結果的にそれが“世界を取り囲む存在”としての役割を与えてしまったんです。
ヨルムンガンドが最も輝くのは、やはり世界の終末・ラグナロクでの戦い。
海から姿を現し、毒を吐きながら神々に襲いかかるヨルムンガンド。その相手はもちろん、雷神トールです。ふたりは激闘の末、トールが勝利するものの、彼自身もヨルムンガンドの毒で命を落とすという壮絶な結末を迎えるんですね。
この戦いは「正義と破壊の共倒れ」として、神話の中でもとくに印象的なシーンの一つなんです。
次に紹介したいのが、ちょっと毛色の違う海の怪物、ドラウグ(Draugr)です。
これは北欧の民間伝承に登場する、海で命を落とした者の亡霊で、死んでもなお眠れず、海辺や船の上をさまよう恐ろしい存在なんです。生前の執着や怒りを抱えたまま、魂が解放されずに残ってしまったんですね。
特に海での事故や裏切り、戦いで命を落とした者がドラウグになると言われていて、漁師や船乗りたちの間では“幽霊船”や“溺死者の声”として語り継がれています。
ドラウグは明確な姿を見せることもありますが、多くは霧の中や波の間から「気配」として感じられることが多いのが特徴です。
彼らは船を沈めたり、乗組員を狂わせたりするとも言われていて、「海の怪物」というよりも“呪いそのもの”のような存在として恐れられてきました。
神話世界のようなド派手な存在ではありませんが、そのじわじわ来る怖さがまたクセになるんですよね…。
最後に紹介するのは、あまり知られていないけれど、めちゃくちゃスケールの大きな海の怪物、ハフグーファ(Hafgufa)です。
これは中世アイスランドの書物などに登場する海の幻獣で、その姿はまるで小島のように見えるほどの巨大生物。しばしば航海者たちが「新しい島を見つけた!」と思って上陸しようとしたら、それがハフグーファの背中だった──なんて話もあります。
ハフグーファは、水中から巨大な口を開けて、近くの魚や船さえも丸ごと飲み込むという伝説が残されています。
まさに「海そのものが牙をむく」ような存在で、航海が命がけだった時代には、こうした怪物の存在がリアルな恐怖として信じられていたわけなんです。
ちなみにこのハフグーファ、近年では「クラーケン」伝説のルーツの一つとも考えられていて、海の怪物好きとしては見逃せないキャラなんですよ!
というわけで、「北欧神話の海の怪物」といっても、その姿かたちはさまざまです。
神と死闘を繰り広げる世界蛇ヨルムンガンド、死者の未練が作り出すドラウグ、そして海に潜む幻獣ハフグーファ──それぞれが違う形で、北欧世界に“海の恐ろしさ”と“神秘”を刻んでいるのが伝わってきますよね。
海は豊かさと同時に、底知れない危険も抱えた場所。だからこそ、そこに生きる怪物たちの物語は、昔から人々の心をつかんで離さないんです。
🌊オーディンの格言🌊
海は「境界」であり、「深淵」であり──そして「記憶の墓所」でもある。
ヨルムンガンドの尾が解ければ、時は満ち、世界の骨組みすら揺らぐ。
見えぬ巨獣ハフグーファは、わしらの知を試し、クラーケンの触手は自然そのものの「怒り」を映す鏡じゃ。
人の目が捉えきれぬものにこそ、神話の真理がひそむ。
海の怪物とは、わしらが「どこまで踏み出してよいか」を定める“深き問い”なのじゃ。
トールが釣り糸を垂らしたのも、ただ敵を討たんがためではない──
その先にある「恐るべきもの」に向き合う覚悟こそが、神々にとっての試練だったのじゃよ。
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