


美と光の神バルドルの肖像
容姿の美しさと純真な性格で知られる神
出典:『Balder the Good by Jacques Reich』-Photo by Jacques Reich/Wikimedia Commons Public domain
北欧神話のなかで、最も“光り輝く”神と称えられる存在──それがバルドルです。
彼はオーディンとフリッグの子として生まれ、神々の中でもとりわけ美しく、清らかで、優しさにあふれていたと語られています。
その人柄ゆえに、誰からも愛され、動植物や石にいたるまでが彼を傷つけまいと誓った──という伝説が残されているほどです。
でも、そんなバルドルがなぜ神話の中であのような悲劇に見舞われたのか。
それは、彼の「純真さ」ゆえの脆さが、ある意味で物語の鍵となっていたからなのかもしれません。
本節ではこの「バルドルの性格」というテーマを、心から信じ、信頼される純真な性格・敵意のない優しさに満ちた性格・そして運命を受け入れる静かな覚悟を持った性格──という3つの視点から、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
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バルドルは、神々のなかでも「いちばん信じやすい心」を持つ存在として描かれています。
彼は誰に対しても疑いの目を向けず、悪意を持たず、敵意というものを知らずに生きていました。
それだけに、彼が夢の中で「自分の死」を見たとき、母フリッグは心配になって、あらゆる存在に「バルドルを傷つけない」と誓わせるのです。
バルドルの純真さは、ときに危うい一面も持っていました。
誓いの抜け穴であるヤドリギが見逃されていたこと、そしてそれをロキが利用したことによって、彼は無防備なまま死へと導かれてしまったのです。
でも、それでもバルドルは誰も責めなかった。 「悪を知らないこと」=「未熟」ではなく、「全き善良さ」──それが、彼の純真な性格の核心でした。
バルドルは、神々のあいだでも特別に愛されていた神です。
それは見た目の美しさだけでなく、人に寄り添い、誰も否定しない優しさによるものでした。
彼のいるだけで空気が和らぎ、怒りや争いが消えていく──そんな「静かな平和の力」を持っていたのです。
ロキが策略によってバルドルを死に追いやったときでさえ、バルドルはロキを罰するような言葉を一つも口にしていません。
その代わり、彼の死を悲しみ、怒りに震えたのは周囲の神々でした。
自分の感情を他者のために使える心のあり方──それは単なる「優しさ」ではなく、「深い思いやりと許しの心」に支えられた強さでもあったのです。
バルドルの死は、ラグナロク(神々の黄昏)の予兆ともされる大事件でした。
でも注目すべきは、彼自身が「自分の死」を受け入れていたという点です。
夢に見た死の運命に対して、バルドルは恐れたり逃げたりせず、ただ静かに向き合っていました。
バルドルの純真さは、決して幼さや無防備さだけではありません。
自分の運命がいかに過酷であっても、誰かを恨まず、悲しみを呑み込んで静かに受け入れる──その姿勢には、深い精神的成熟が感じられます。
「死すら拒まない心」というのは、戦士のような派手な強さとはまったく違う、「清らかな覚悟」と呼べるものだったのではないでしょうか。
というわけで本節では、北欧神話の光の神バルドルの性格について掘り下げてみました。
無垢にして疑うことを知らない純真さ、争いを遠ざける穏やかな優しさ、そして死の運命すら静かに受け入れる覚悟──彼はただ「愛された」存在ではなく、神々の中でもひときわ“透明な強さ”を持つ存在だったのです。
彼の死が、神々の時代の終わりを告げるきっかけになったのは、きっとその純粋さが、世界の中で最も壊してはならないものだったからなのかもしれませんね。
🌞オーディンの格言🌞
わしの息子バルドルは、ただ美しいだけの神ではない。
その光は、剣でも策でも届かぬ“まことの善”を映しておる。
彼を傷つけぬと世界が誓い、神々すら涙を流した──それがすべてを物語っておろう。
純真さとは、最も壊れやすく、最も失われてはならぬ力なのじゃ。
やがてラグナロクの焔が消えたあと、彼は新しき世を導く希望として甦る。
バルドルよ、おぬしの微笑みは、九つの世界にとっての「夜明け」なのじゃ。
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