


放浪者の姿をしたオーディン
知を求めて各地をさすらう性格を象徴する一枚
出典:Photo by Georg von Rosen/Wikimedia Commons Public domain
若さを求める神々に知恵を授け、ラグナロクに備えて日々策略を巡らせる…オーディンといえば、まさに「北欧神話の中枢」に立つ存在です。でも、戦いの神かと思えば詩の神でもあり、王でありながら放浪者として旅に出る姿も。いったい彼は、どんな“性格”を持った神さまだと思いますか?
一つ確かなのは、オーディンはただ力で君臨する王ではないということ。知識を得るために片目を差し出し、魔法を習得するために自ら苦行に挑み、必要なら嘘やだまし討ちも辞さない。そんな複雑で矛盾すら抱える性格が、彼を唯一無二の存在にしているのです。
本節ではこの「オーディンの性格」というテーマを、知識に対する執着・狡猾さと戦略性・そして孤独に立つ強さ──という3つの視点に分けて、ざっくり楽しく紐解いていきたいと思います!
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オーディンの性格を語る上で、まず取り上げたいのは「知識」への異常なまでの執着です。
たとえば、世界のはじまりを見通す力を持つ「ミーミルの泉」。オーディンはこの泉の水を一口飲むために、なんと自分の片目を差し出したとされています。
それでも彼は後悔しませんでした。なぜなら、その一口が「未来を読み解く力」や「戦争の勝敗を決める知恵」につながると信じていたからです。
さらに極めつけは、ルーン文字を手に入れるために、オーディンは自らをユグドラシルの枝に9日間逆さ吊りにしたという伝説。
飲まず食わず、槍で自分を突き刺したままの修行…その末に、彼はようやく“言葉に宿る魔力”を理解するのです。
「知る」ことは、オーディンにとって生きる目的そのもの。それがどれだけ恐ろしいものであっても、彼は手を伸ばし続けるんですね。
さて次は、オーディンの策略家としての顔を見てみましょう。
オーディンはしばしば「放浪者」として、身分を隠して旅をする姿で描かれます。フード付きのマントに杖、片目を隠した老いた姿──まるで何でも知っているけれど、それを簡単には明かさない謎の旅人といった風情です。
この姿、実はあえて“目立たない”ことで自由に情報を集めるためなんです。
オーディンは、必要とあらば平気で姿を変え、相手をだますこともします。
たとえば、『詩の蜜酒』を手に入れるため、巨人の娘に近づき、変身しながら彼女をうまくたぶらかし、最終的には蜜酒を全部持ち去ってしまった──なんて話も。
オーディンにとって正義や誠実さよりも、「得るべきものを得ること」の方がずっと大事なんですね。
冷静で、常に数手先を読んで動くタイプ。その分、信頼されにくいところもあるのですが、それすら承知のうえで行動している節があります。
最後に触れたいのが、オーディンの重い責任を背負った孤独な王としての一面です。
知識を集め、未来を読み、戦略を練る──これらは誰にも頼らず、自分だけで背負い込むからこそ成り立つもの。そして、それは“孤独”という代償を常にともなっていました。
オーディンは神々の王でありながら、仲間とワイワイ騒ぐようなことはあまりなく、いつもどこかでひとり、静かに考え込んでいる印象がありますよね。
ラグナロク──神々の終末戦争の到来を、オーディンは誰よりも早く知っていました。
その日が来るとわかっていながら、それでもなお神々の運命を少しでもよい方向へ導こうと動き続ける。この姿勢には、強い責任感と覚悟がにじみ出ています。
「知っているのに、変えられない」という重荷を背負い続ける彼の姿は、まさに王の孤独そのもの。
それでも彼は立ち止まらず、知恵と策を使い、神々と人間たちの未来に希望をつなごうとしていたのです。
というわけで本節では、オーディンの性格について深掘りしてみました。
知識に対する異常な執着、狡猾で計算高い頭脳、そして誰にも頼らず孤独を背負う強さ──そんな一面をあわせ持つ彼は、ただの「偉大な神」ではなく、とても人間的な苦悩と情熱を抱えた存在なのかもしれません。
だからこそ、「放浪者」の姿をしたオーディンの絵は、どこか哀愁と知性に満ちていて、見る人の心を引きつけるんでしょうね。
👁オーディンの格言👁
わしは「知る」ために片目を差し出し、「守る」ために欺きを選んだ。
それは誉れでもなく、慈悲でもなく──ただ世界の終わりを見据えた者の務めじゃ。
戦を起こし、死者を集める愚かさも、やがて来るラグナロクに備えるため。
狡猾さとは、犠牲と覚悟を包む仮面にすぎぬ。
信念を貫くがゆえ、時に冷たく見えることもあろう──されどそれもまた、導く者の宿命。
わしが選んだ放浪の道は、誰にも強いぬ、わし自身の「責任」なのじゃ。
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